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あの日のこと

ご無沙汰していました。

被災地域に自分を含め家族親戚はいず
けれど友人、知人のヒヤリは
大多数の日本人と同じように耳にし

できることをできる限りと
赤十字社にわずかばかりを寄附し
仙台在住の友人に物資を送る手配をしています。

そして。
次回6月の経過観察の時に再び寄附しようと
思っています。

・・・その日まで生きられたことへの感謝として。

*******************************

3月11日、午後2時46分。

職場におりました。

一年で最も忙しい時期、毎晩21時までの残業。
子どものいるわたしがこれでも一番早く帰らせてもらっている、この時期。

長い横揺れ、近所でかわらが落ちたり地盤沈下の場所もあったのに
職場の山積みの書類も、ファイルも、書籍も
何一つ落ちなかったのです。

護られた、と思いました。

電車の動く見込みが立たず
これはもう潔く残業しようと
数日後に迫った〆に向けて
PCの画像やテレビの音声に心かき乱されつつも
集中をぎりぎりのところで保って仕事を続けました。

とてつもない被害が及んでいることは
容易に想像ついてはいましたが
まずは家族の居る家へ帰らなくては・・・
その為の情報収集が大変でした。

あの日の東京は帰宅難民の彷徨う
この日に限っては、東京も被災地と呼ぶことが許されたでしょう。

大通りを歩くすさまじい人の波と
まるで動く気配のない車の列

その間を縫って車で帰途へ。
裏道を駆使して
それでも普段30分で着くのに1時間半かかりました。
22時30分着。

子どもが病気でたまたま母と一緒にいたことに救われましたが
それでも手を握って、ようやく眠りにつきました。
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